男性と女性。
どちらも生物的には同じ人間ですが、比べてみると、肉体的な面以外でも様々な違いがあります。
女性にとっては当たり前のことでも、男性から見たら
「おかしい」
と感じることもあり、またその逆も然り。
男女で構造上の差がある以上、それはある程度仕方のないことではあります。
しかし、そんな感性の違いによって異性の行動や言動に対して「うざい」と感じてしまうことがあるのも事実です。
多くの方は「そんなの理不尽だ!」と思われるかもしれません。
そして、好き好んでそんな風に思われたい人間も多くはないでしょう。
では、男女のどういった感性の差が互いの煩わしさを招くのか?
今回は、あえて男性の目線から『女性のどのような面が「うざい」と感じてしまうのか』をご紹介したいと思います。
押し付けがましい
何かと世話を焼いてくれる女性は、男性にとって魅力的に映るものだと思います。
しかしそれも、度を過ぎればやはり
「うざい」
と受け取られる要因のひとつになるのです。
例えば『自分のセンスで選んだファッショングッズをプレゼントしまくる』。
お互いの感性が一致しているなら、喜ばれるかもしれません。
しかしファッションは、男女で感性の差が出やすい要素のひとつです。
固有のセンスを持っている男性にしてみれば、それらの個性の押し付けは苦痛になるでしょう。
女性からすれば
『私が~してあげてるのに』
『絶対似合ってるのに』
という心理であることが多く、何故男性にとってそれが煩わしく感じられているのか、理解しにくい点が問題となります。
自意識過剰
自分にある種の強い自信を持っている女性に多いタイプです。
自分は周囲から注目を浴びていると思っており、実際にそれなりに注目を浴びていることが多いです。
その為に自尊心が高く、自分への否定に対して過剰に反応します。
常に自分はひとつ高いところにいるという意識な為に、他人、つまり自分にとって下からの言葉を素直に受け取ることができないのです。
すぐに泣く
これには2つタイプがあります。
ひとつは「自分のペースに持ち込むために泣くタイプ」。
仮に自分に一方的な落ち度があったとしても、涙を流すことで相手に罪悪感やプレッシャーを与えて、自分にとって有利な状況を作ろうとします。
もうひとつは「本当にすぐ泣くタイプ」。
その涙に打算などは含まれず、悲しいこと、ツライことに対して反射的に涙を流すタイプです。
どちらのタイプにもいえることですが、男性にとって涙を流す女性は、非常に厄介な存在といえます。
文字通り女性の涙は武器であり、これをされると大抵の男性は怯みます。
たしかに、女性が男性に対してアドバンテージを奪う手段として、涙は非常に有効であるのは事実ですが、それ故に男性にとってすぐ泣く女性は
「うざい」
存在となるわけです。
集まる
「女三人寄れば姦しい」ということわざがあるように、女性は人数が集まるほど声が大きくなる傾向が強いです。
飲食店の一角で、若い女性グループが頭に響く悲鳴のような高い声をあげながら、取り留めのない会話をしているところを一度は見たことがあるのではないでしょうか。
「声が大きい」のは、単に声量だけの話ではありません。
例えば男子にからかわれていた女子が、友人数人を引き連れてその男子を糾弾する、といったような集団心理によって、気が大きくなることも指しています。
男性から見てそんな女性の集団心理は
「うざい」
というより、もしかしたら
「恐ろしい」
と感じることが多いかもしれません。
内容の伴わない会話を続けたがる
男性と女性では会話の構成が根本から異なるそうです。
男性の場合は「会話に結論を求めている」のに対して、女性の場合は「会話自体に結論は必要なく、会話の中に共感を求めている」と言われています。
よって、そんな男性と女性同士が会話をすることで、すれ違いが起きることになります。
女性の悩み事相談に対し、多くの男性は
「こうするべきでは?」
などとアドバイスをしようとしますが、女性の多くはそんな助言など求めてはおらず、男性からの
「ツライよね」
「わかる」
といった同調や共感を求めているのです。
なのでその会話には明確な内容などは必要なく、ただダラダラと会話を続けることが目的となります。
男性からすればあくまで
「悩みを解決してあげたい」
という親切心から一生懸命結論へと導こうとしているのですから、そんな女性との会話が
「うざい」
と感じてしまうのは仕方の無い話ではないでしょうか。
「男性からの目線」ということで女性にとっては少々厳しい言い方をしてしまいましたが、当然のことながら女性だって男性に対して「うざい」と感じることは多々あるでしょう。
大切なのは、
「こういう考え方もあるのか」
と異性同士の感性の違いを受け入れて、“お互い様”という気持ちを持って接することです。
「うざい」と思われない為にはまず自分のどのような部分がうざいと思われているのかを考えること。
同性異性に関わらず、それがより良い人間関係が築く為の第一歩だと思うのです。